11月5日、在日華人女性交流会が主催し、公益社団法人日本中国友好協会、東京都日中友好協会、全日本華僑華人社団連合会、南開大学日本校友会の協力により、中日平和友好条約締結45周年記念特別セミナーが開催されました。
このセミナーでは、「日本徐福協会」の顧問である池上正治先生が、「東アジア三国に見る徐福 ~中国・韓国・日本の伝統と行事~」と題して講演を行いました。
参議院議員 羽田次郎氏(元首相羽田孜の息子)が代表挨拶に
参議院議員の羽田次郎氏(元首相羽田孜の息子)をはじめ、元神奈川県箱根町議員の川端詳介氏、「神奈川徐福研究会」事務局長の津越由康氏、「日中友好協会」全国女性委員会副委員長の奥真理子氏など、100名を超える来賓と女性会会員が講演を聴講しました。
長らく日本の徐福の研究に熱心な羽田次郎上院議員(元首相羽田孜の息子)氏が、ご来賓代表としてご挨拶をされました。
徐福とはどんな人物?なぜ来日?
徐福とは、一言で言えば、初代中国徐福会長である李連慶氏の言葉を借りると、中国で生まれ、韓国を経由し、最終的には日本で亡くなりました。
なぜ徐福(じょふく)が中国、韓国を経由して日本に至ったのか?
2,000年前、徐福は不死の霊薬を求めて、秦の始皇帝の命により東海へと船出しました。池上先生の研究によれば、徐福の航海伝説は東アジアで2,000年以上も語り継がれており、中国・韓国・日本での歴史的事実であることを知ると、それは伝説ではないと思われるでしょう。
徐福の中国、韓国、日本における足跡
徐福の足跡【中国】
中国での足跡をたどると、 東北地方から上海の南まで、長大な東海岸には歴史的に数多くの徐福ゆかりの地があり、それぞれに独自の活動をしてきました。それらを有機的に取りまとめたのが「中国徐福会」です。
遼寧(綏中 すいちゅう)には、秦の離宮跡の近くに、徐福の出航碑があり、確認されている最北の地です。南へと順番に足跡地を並べると以下の通りです。
河北(秦皇島 しんのうとう)、山東(龍口 りゅうこう)、江蘇(連雲港 れんうんこう)、
浙江(慈渓 じけい)、台湾の地等です。
徐福の足跡【韓国】
その後の足跡には韓国にもあります。
韓国は、大陸に接する朝鮮半島と済州島があり、徐福を含む東アジア交流において重要な場所となっています。現在確認されている足跡をたどると、主に
済州(チェジュ、西帰浦 ソギュポ)、全羅南道(南海 ナムヘ)、慶尚南道(巨済 コジェ)などには、徐福の伝説が存在し、徐福交流が盛んであることが確認されています。
徐福の足跡【日本】
日本は「シルクロードの終点」であり、徐福は結果的に日本で「大きな花」を咲かせたこととなりました。池上先生の長年の調査および研究によれば、以下の場所には徐福に関する資料、伝説、徐福像などが存在しています。
佐 賀 ―― 有明海に臨む諸富(もろどみ)から金立(きんりゅう)山の神社まで、徐福の遺跡がならぶ。
福 岡 ―― 県西部にある八女(やめ)では、童男山の麓で小学生による「ふすべ」行事が行なわれる。
鹿児島 ―― いちき串木野には秦屋敷などの地名があり、高さ6mの徐福の像が西を向いて立つ。
宮 崎 ―― 県の北部の延岡(のべおか)には、徐福らがそこに船をつないだとされる徐福岩がある。
岡 山 ―― 倉敷から中国山地にすこし入ったところの安養寺には徐福の像があり、実にユニーク。
京 都 ―― 市内には秦氏ゆかりの広隆寺があり、日本海に面した伊根(いね)には新井崎神社がある。
和歌山 ―― 新宮(しんぐう)の徐福公園には秦徐福之墓があり、お盆には供養祭が取り行なわれる。
山 梨 ―― 富士の北麓の富士吉田には、徐福祠や鶴塚などのほかに、富士(徐福)古文書がある。
長 野 ―― 八ヶ岳・双子山の麓の池には、徐福が住みつき、子供たちが遊んだという伝承がある。
神奈川 ―― 藤沢の旧家には「徐福の鉄鍬」があり、明善寺には「祖は徐福」とする墓碑銘がある。
宮 城 ―― 松島にちかい富山には、徐福が持参したとされる秦延命子があったといい、目下行方不明。
秋 田 ―― 男鹿(おが)は「なまはげ」で有名だが、江戸期の史料により、徐福塚が復元された。
青 森 ―― 日本海側の小泊に、尾崎神社の徐福像のほか、西を向いてたつ徐福の大きな石像がある。
北海道 ―― 富良野(ふらの)には静修熊野神社があり、旭川には「徐福を祖先」とする家系図がある。
池上正治先生による新たな発見もサプライスで発表!
徐福の研究追跡は30年以上にわたりますが、つい先月には新たな発見がありました。今までどこでも発表されていなかった徐福の発見が、講演会でサプライズで初発表されました。
以下の2か所は初公開内容です。
1.長野 ―― 八ヶ岳・双子山の麓の池には、徐福が住みつき、子供たちが遊んだという伝承があります。
2.宮城 ―― 松島に近い富山には、徐福が持参したとされる秦延命子があったといい、現在その行方は不明です。
日本における徐福伝承における課題を提示
池上正治は、中日韓の三国の徐福伝説地に関する全調査にかかわり研究した第一人者です。徐福の研究に30年以上専念した先生として、今後のアドバイスとしては以下のようになります。
【日本における徐福伝承における課題を提示】
超2,000年という強い「生命力」をもつ徐福伝承を考える場合、徐福の時代(紀元前3世紀)は別として、徐福の末裔を自任する者らの移動以外に、神社ルートによる勧請(かんじょう)や、神仙を志向する修験(しゅげん)の歴史にもっと目を向け、研究しなければならないでしょう。
まとめ
講演の終わりに、地政学的に、日本・韓国・中国の3国は引越しできない関係。まさに一衣帯水(いちいたいすい)です。徐福を絆(きずな)とし、この東アジアの3国は相互に学び、有無相通じて、徐福をモデルとして、平和的に共存することが可能であると池上先生は強く望みました。
最後に協力団体を代表して、奥真理子氏は「歴史を知ることが重要であり、徐福の話は2023年に生きる人間に豊かな気持ちをもたらし、友好が大切であること、そして絶対に戦争をしてはならないことを徐福を通じて感じました」と述べました。
永い伝統があるシルクロードの文化交流の歴史を大切にしたいとの思いを共有しました。
■ライタープロフィール
名前:姜春姫(きょう・しゅんき)女性
「医・職・住」ラボでは、グローバルな視点で、日本と中国との高齢者が直面する医・職・住の問題を提起し、特に日本に住んでいる外国人の問題を提起する。
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