鄭宇(てぃう)女史は、7歳の時揚琴(ヤンチン)と出会い、それ以来揚琴に惚れ込んで一生懸命に練習を重ね、揚琴と共に音楽の世界に入りました。中国で成功した後は、揚琴をもって海を渡り、楽器と歌を通して日中の間の文化交流をし、音楽教育家として、日中民間交流使者として活発に活動を展開してきました。
本日は、前回の直接インタビューに続き、コロナ禍において、どのように日中文化交流を続けて来たか、その魅力をお伺いしてきました。どうぞ御覧ください。
■プロフィール
名前:鄭宇(てぃう) 揚琴演奏家
中国湖南省長沙市生まれ。7才より揚琴(ヤンチン)を学ぶ。15才飛び級で湖南師範大学芸術学院に入学。卒業後、湖北芸術学院民族音楽学部で更に研鑽を積む。1982年中国文化部主催による第一回民族楽器コンクールで「表演賞」を受賞。その後、コンサートをしながら大学の音楽教師を務める。
1990年来日。1995年3月千葉大学大学院音楽教育修士課程を修了。アジアと日本各地で多彩な活動など数々アーティストと共演、多数のTV.ラジオ出演ほか、意欲的な演奏活動行っている。
2000年から鄭宇と仲間たちコンサートは、東京文化会館小ホールで開催。中国と日本アーティスト達の音楽イベントを企画しながら華麗なる舞台にしている。
現在華宇創意株式会社社長、雑誌「中国物語(中国故事)」日本代表、(公社)日中友好協会顧問、日本NHK放送大学講師、国際儒学聯合会第6期理事、上海市対外文化交流協会海外理事等を務める。
音楽には国境がありません
━━━鄭宇(てぃう)先生は、来日30年間沢山の音楽文化活動をなさいました。続けてよかったと一番に思うものは何ですか?
鄭宇先生:音楽には国境がありません。日本語で表現できない時でも音楽、演奏で交流ができます。日本に30年間住んでいます。この間ずっと音楽活動を続けてきたことによって、沢山の友人、仲間ができました。私にとってこれが一番の宝で、とてもよかったことだと思います。
【中国に発信】対談動画、音楽舞台を通して、日本の各方面で素晴らしい方々をご紹介
━━━鄭宇(てぃう)先生,いま世界中がコロナで大変な時期になりました。この間先生は、どのような活動をなさいましたか?
鄭宇先生:昨年2020年からコロナの影響で、音楽活動は全くできませんでした。中国に帰ることもできなく、ずっと考え続けました。いままでは、中国文化を日本にいろんな形で紹介してきました。今度は日本の各分野でトップの方々を対談動画『宇你同行』(あなたと一緒……)の番組から、中国に発信し始めました。
①『対談動画』中国の「湖南TV国際チャンネル」、「中国故事雑誌社」、「bili biliチャンネル(B站)」に、日本の各分野で素晴らしい方々と対談しご紹介
鄭宇先生:現在は、中国湖南TV国際チャンネルの公式Tencentビデオアカウントと中国故事雑誌社、「bili biliチャンネル(B站)」に対談動画『宇你同行』(あなたと一緒……)という番組を通して、日本の各分野でトップの方々をインタビューをし、直接中国の観衆にご紹介しています。
②【音楽舞台】日本の一流の舞台音楽を中国の観衆にご紹介
『独家奉献·川井郁子舞台音乐』(独奏奉仕・川井郁子舞台音楽)、このように中国のメディア『中国故事频道』 チャイナストーリーチャンネル、「bili biliチャンネル(B站)」に、舞台音楽『宇你同行』(あなたと一緒……)という番組を通して、日本の各方面で素晴らしい方々の舞台音楽を中国に直接ご紹介しています。現在大変好評を得ています。
両国文化を多方面から伝える
━━━今後の抱負について話して頂けますでしょうか?
鄭宇(てぃう)先生:これからも両国文化を多方面からお伝えしたいと思います。
中国も日本も私の故郷
━━━鄭先生は日中の間で沢山の音楽文化活動や、ボランティア活動をなさいました。鄭先生にとって日本と中国はどんな存在ですか?
鄭宇(てぃう)先生:中国も日本も私の故郷のような存在です。心の中の気持ちは半々です。
現在、日本での生活は中国より少し長くなりました。なので、私にとって両方とも故郷であるに間違いありません。
自分らしく生きる
━━━読者の皆さんに少しお言葉を頂けますでしょうか?
鄭宇(てぃう)先生:私は、いままで通りどんな時でも、自分らしく生きて行きたいと思います。
いまコロナで大変な時期ですが、皆様と一緒にコロナを乗り越えましょう!
■ライタープロフィール
名前:姜春姫(きょう・しゅんき)女性
「医・職・住」ラボでは、グローバルな視点で、日本と中国との高齢者が直面する医・職・住の問題を提起し、特に日本に住んでいる外国人の問題を提起する。
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