梅や桜が咲いてきて春を感じる今日この頃、日本の春といえばお花見です。日本人は桜の綺麗な場所に行っては写真を撮ったり、お酒や料理を楽しんだりと桜の下で思い思いに時間を過ごします。
日本の国花の一つでもある桜。いつから日本では桜がこんなにも愛でられるようになったのでしょうか。
日本人にとって桜とは
遡ること弥生時代(紀元前300年〜250年)、桜は穀物の神や春の訪れを告げる精霊が宿る「神聖な樹木」として扱われていました。また、農民の間では、桜の開花が農作業開始の合図とされ、桜の開花具合で稲作の豊凶を占う習慣があったとされています。
その他に、はかなく散ってゆく命の短さから死生観を考える対象でもあり、桜好きの西行法師が詠んだ有名な和歌に『願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃』があります。
(中国では生命感の象徴とされている他、愛の幸運と繁栄の象徴とされています。)
昔は花見の対象が梅だった?
花見の起源は諸説がありますが、奈良時代、都があった奈良で貴族たちが「梅」を鑑賞していたことが始まりのようです。当時、遣隋使が中国から梅の花を持ち帰り、その良い香りが貴族の間で珍重されたとか。先にご紹介したとおり、桜は神聖な木として扱われていたため、当時は梅の鑑賞が主流だったそうです。奈良時代に編まれた和歌集『万葉集』では、梅を詠んだ歌が110首に対し、桜を詠んだ歌は43首と、倍以上の違いがあります。
いつから桜を楽しむように?
平安時代までは貴族の楽しみであった花見も、鎌倉時代に入ると徐々にあらゆる階層に広まっていきます。武士や町人も桜を楽しむようになり、京都では山や寺社などにも桜が植えられたのもこの頃であるといわれています。
ちなみに、歴史上有名な花見は、豊臣秀吉が文禄3(1594)年に秀吉が公家、武将、茶人、連歌師など総勢5000人を連れていった吉野の花見です。その4年後、秀吉は慶長3年(1598)の春に(戦乱で壊滅的状態になったのちに秀吉によって復興された)「京都の醍醐寺で花見がしたい!」と提案し、数か月をかけて近隣諸国から700本の桜を植え、三宝院の建物と庭園を造り盛大な宴を開きました。1000を超える人が集まったとか!これが現代の「花見」の起源と言われています。
やがて江戸時代には花見文化が庶民に広まります。人が集まるところに店を出すと儲かる!ということで出店が広がり、現在各地で開催されるような桜まつりが始まったと考えられます。時代が進むと街灯や提灯に明かりをともして夜桜もゆっくり楽しめるようになりました。
桜の発祥地は中国?
中国起源説の根拠とされているのは、1975年に日本で出版された桜の専門書「桜大鑑」です。同書には「桜の原産地は中国で、ヒマラヤの桜が人工栽培されるようになり、長江流域、西南地域、台湾島へと徐々に伝来した日本の桜は中国から伝来した。その時期は唐の時代だった」との記述があるそうです。
中国植物学会植物園分会の張佐双理事によると、桜の野生種は世界中で約150種が存在し、そのうち50種以上が中国で確認され、サクラ属の野生祖先種約40種のうち、33種が中国原産と指定されたようです。
桜は中国生まれですが、日本でもっと花を咲かせたのです。日本の桜栽培の歴史は古く、なんと1千年以上の歴史があります。ちなみに品種の85%以上が白い花の品種です。
中国も現在、独自に桜を栽培しています。花の咲く時期はより長く、色も品種も多くなり、今では桜の栽培面積は世界一の広さだそうです。
盛唐の頃、諸国から使者が多く訪れ、日本の使者は建築、服飾、茶道、剣道などと一緒に桜の花をもちかえったとみられます。それが日本で盛んになり、現代になって日本の桜が中国に逆輸入となりました。
次回は日本と中国で咲いている桜の違いや花見についてご紹介します。どうぞお楽しみに!
《リサーチ内容》
https://www.mag2.com/p/news/160820
https://intojapanwaraku.com/culture/2537/ 花見の起源
http://j.people.com.cn/n3/2021/0318/c94638-9830151.html 中国の桜の名所
https://baijiahao.baidu.com/s?id=1725641607490714859&wfr=spider&for=pc
https://baijiahao.baidu.com/s?id=1758859595716297893&wfr=spider&for=pc
http://j.people.com.cn/94473/206571/8603842.html