現在日本で長期生活をする外国人は多く、その数が過去最多になっています。
日本に来た多くの外国人は、現在老後の問題に直面しています。
当サイトでは数回に分けて、特に中国人の実際の生活、介護問題などについて調べ、問題点を提示してまいります。
今回は、お母さんの介護をした経験がある「よしこさん」にインタビューしました。
この記事ではお母さんのお話を通して、
・残留孤児の介護生活
・残留孤児の介護生活をとおして、今後起こりうる華僑華人の介護問題を読みとる
華僑華人や外国人の介護など老後の問題に興味がある方はぜひご覧ください。
■プロフィール
名前:よしこ(60代女性)
残留孤児帰国2世
30年前、残留孤児1世であるお父さんに呼ばれて来日。
一代目華僑華人の日本生活のスタートは?
━━━お母さんについて詳しく教えてください。いつ頃日本に来ましたか?
よしこさん:1988年、お母さんは残留孤児だったお父さんと一緒に家族で日本に来ました。お母さんはお父さんが中国で結婚した中国人女性です。
━━━お母さんは日本語が話せましたか?
よしこさん:最初は全く話せませんでした。その後区役所、帰国者支援センター等で短期講習を受け、日常生活に必要な日本語を話す程度でした。
━━━お仕事はありましたか
よしこさん:49歳のころ仕事が見つかり、65歳に定年になるまで仕事を続けました。
介護の現状について
━━━介護保険に入っていましたか
よしこさん:会社の社員として勤めていましたので、厚生年金に加入していました。
━━━ いつ頃から介護サービスを受けましたか?
よしこさん:7年前から具合が悪くなったため、介護認定を受けて、介護施設を転々としながら、いろいろなサービスを受けました。
━━━日本の介護施設はいかがですか?
よしこさん:日本の介護施設はいろいろな工夫をしていて、とても楽しく過ごすことができました。活動が多く、絵描き、書道、読書など施設利用者の昔得意だった技能を発揮させてもらう場でもありました。いつも快く参加していました。
文化の違いで介護施設で困ったことは?
━━━文化の違いで困ったことはありましたか?
よしこさん:最初の施設にいたころは、自分で少し動けましたので、中国語の話せる入所者(中国人)と隣席で食事を楽しんだり、よく話し相手になっていて、心強く感じていたようです。本人も日本の企業に勤めていたこともあって、さほど問題ではなかったようです。
ただ、その中国人は経済的にも余裕があって、もっとよい施設を子供たちが勧めていたのですが、ここには中国語のできる仲間がいるので、離れたくないと言っていたようです。
子供として文化の狭間で決めた行動とは?
━━━よしこさんが直接お母さんの介護をしたのはいつごろからですか?その原因について話してください。
よしこさん:お母さんは去年3月に要介護2の判定となり、東京の介護施設に移りました。新しい施設にはなじめなくて、いつも一人で寂しくしていました。だんだん食事もとらなくなり、とても心配になりました。また、週末に帰宅した際には、どのように介護すればよいのかわからなくて、介護の勉強をしました。勉強の後、毎日夕方にはお母さんの介護施設に行き、食事をさせ、身の回りの世話をしました。このようにお母さんが去年年末に亡くなるまで続けました。
介護の知識があるとないとでは、大きな差があることを実感しました。少しでもお母さんのために親孝行ができたかなと思うと、少し気が楽になります。
よしこさん、貴重な介護の体験談ありがとうございます。次回はぜひお父さんのお話も聞かせてください。
■ライタープロフィール
名前:姜春姫(きょう・しゅんき)女性
「医・職・住」ラボでは、グローバルな視点で、日本と中国との高齢者が直面する医・職・住の問題を提起し、特に日本に住んでいる外国人の問題を提起する。
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